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5月に壬生浪士組が会津藩主松平容保に拝謁した際に平山は土方、藤堂平助らと剣術の稽古を披露している。6月3日、不逞浪士取り締まりのため芹沢、近藤、山南敬助、沖田総司、永倉新八、斎藤一、野口健司、井上源三郎、島田魁そして平山の10人が大坂へ下った。淀川で舟遊びをしていると斎藤が腹痛を起こしたため船を下りて新地の遊郭へ向かった。途中、力士が無礼を働いたため殴り倒した。浪士たちが遊郭へ登ると力士の仲間たちが駆けつけ乱闘となった。力士たちは樫の棒で打ちかかってきたが、浪士たちはこれを撃退し、力士に多数の死傷者が出た。浪士に死者はなかったが、平山が胸を打たれて負傷した。8月12日、芹沢は生糸問屋大和屋を焼き討ちする乱暴を働いた。

新選組加盟の時期は不明だが、元治元年6月に副長助勤、同年12月に八番組長、慶応元年4月に七番組長・槍術師範を務める。池田屋事件では近藤隊に属し、事件後、褒賞金として17両を賜る。慶応元年1月、弟万太郎ら4名で大坂焼き討ち計画を未然に防ぎ、大坂の豪商・加賀屋四郎兵衛に対する献金要請の際は交渉役を務め、3万1500両もの大金を得ることに成功している。その間、弟周平は近藤勇の養子となっている。慶応2年4月1日、京都東山の祇園社石段下にて「頓死」する。享年不明。墓所は、大阪市北区の本伝寺。武蔵国日野宿北原にて、八王子千人同心世話役の井上藤左衛門の三男として生まれる。兄・松五郎は千人同心。

2003年9月19日、急性心不全のため64歳で死去。ヴェネツィア国際映画祭 男優賞を2度受賞し、「世界のクロサワ」の黒澤明と共に「世界のミフネ」と呼ばれた。米映画『グラン・プリ』、70mm『太平洋の地獄 Hell in the Pacific』、仏映画『レッド・サン』など海外作品出演も多数。稼ぎも歴代の日本のスターの中で別格であり、経営する三船プロダクションは東京世田谷区に大手の映画会社に次ぐ規模のスタジオを所有し、大勢のスタッフを常時雇用していた。元俳優で映画プロデューサーの三船史郎は本妻との、タレントの三船美佳は内縁の妻との間にできた子供。

代表作である子連れ狼シリーズでは刀、長巻を駆使した見事な殺陣を見せている。太めの体型にもかかわらず驚くほど敏捷で、トンボが切れた。自ら企画した晩年のTVドラマ『暴力中学』でこれを披露して視聴者を驚かせている。若山は、学歴に対するコンプレックスが強かった。それ故新人監督が若山に接するときは、とにかく帝大を出た事にしろとアドバイスされたという。また、仕事に対するこだわりが強く、撮影現場でもさまざまなアイデアを進言することがあったが、無茶を言って監督を困らせるようなものも少なくなかった。そんな若山をなだめるのがうまかったのが山下耕作監督で、「若山さん、それは素晴らしいアイデアだ。でももったいないから、次回に取っておきましょう」と、若山の熱意と顔を立てながら現場を収拾したという。ある時東映撮影所で大喧嘩になり、若山は「ぶち殺してやる」と机を持ち上げて相手に振りかぶった。若山を止めてもらおうと呼び出された山城新伍が駆けつけると、若山は机を振り上げた姿勢のまま固まって待っていた。山城は若山に「早く止めに来んかい」と怒られたという。

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