エッセイ・対談とエッセイ・対談

松竹京都では、「鞍馬天狗」を3作演じた。以後、年に8本前後のペースで数多くの時代劇映画に主演、衰えぬ華麗な剣戟をみせる。1952年、『鞍馬天狗 一騎討ち』に主演。

但し、大野次郎右衛門なる人物は架空の人物であることがわかっており、吉村の最期は子母澤寛の創作である可能性が高い。子孫の嘉村家の過去帳には、明治三年一月十五日没、とあるという。上記の吉村の所伝の多くについては作家子母澤寛の創作である。浅田次郎の歴史小説『壬生義士伝』は、子母澤の創作を下敷きにして書かれたものである。2002年にテレビ東京で長時間TVドラマとして放送され、翌2003年には映画化もされた。

入隊は文久3年秋以降。元治元年6月5日の池田屋事件では、土方歳三の隊に所属し、屋外の守備を担当した。後に十五両の褒賞金を得ている。同年12月の編成では、松原忠司の七番大炮組に所属し、慶応2年の三条制札事件では原田左之助らと共に、土佐の藤崎吉五郎を斬り、十五両の恩賞金を得た。慶応3年6月10日の幕府召抱えでは、平同士として名を連ねるものの、同年の12月までに脱走した。以後、消息不明。

維新後も大坂で道場を経営した。西南戦争では、大阪府知事渡辺昇の推薦で一時は抜刀隊の長に擬せられた。のちに道場経営に失敗し、商家の用心棒をしながら余生を過ごした。のち、妻スエと離婚して愛人吉村たみと同棲。明治19年、食道ガンのため大阪にて死去。享年51。墓所は、大阪市北区の本伝寺。文久3年9月以前に、父・馬詰新太郎と共に新選組に入隊。

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