コマーシャルと長編作品一覧

9月に芹沢が思いのままにならない芸妓小寅に腹を立て遊郭の吉田屋に乗り込む騒ぎが起きた。永倉、斎藤、土方、平山が同行して主人を脅しつけ、小寅と付添の芸妓お鹿を断髪する辱めを与えた。この際に芹沢の命令で土方が小寅の、平山がお鹿の髪を切っている。その頃、会津藩から近藤、土方、山南らに芹沢の処理の密命が下っていた。芹沢の乱暴狼藉に対し朝廷から召捕りの命令が下ったことが理由である。9月16日、島原の角屋で宴会をした芹沢、平山、平間重助は夜中に屯所の八木家に帰った。平山は玄関で倒れて起き上がれないほど泥酔していた。八木家には各々の愛人が待っており、平山は桔梗屋の芸妓吉栄とかねてから馴染で、奥の十畳間で吉栄と同衾して寝入った。同じ部屋では屏風を置いて芹沢とその愛妾のお梅が寝ていた。

尊王攘夷運動に奔走すべく藩を脱した三樹三郎は、江戸深川の道場主・兄伊東のもとに身を寄せる。桜田門外の変後、浪人に対する詮議が厳しくなった江戸を離れ、数年もの間、常陸国多賀郡にて隠棲する。天狗党の争乱の際は、伊東の探索依頼を受けて志筑へ戻ったが、争乱終結後は帰順することなく江戸へ戻る。1864年10月、旧知である藤堂平助の隊士募集の求めに応じ、伊東や篠原泰之進らと共に上洛する。のち、正式に新選組に加盟する。このころ、三木三郎と称す。目付を務めた後、1865年に九番隊組長。1868年3月、伊東らと共に新選組から分離し、御陵衛士に属す。三樹三郎や三木和泉と称する。同年11月、暗殺された伊東の遺体収容時、迎撃する新選組との乱闘を切り抜けて薩摩藩邸に保護される。鳥羽・伏見の戦いでは、薩摩藩の中村半次郎の指揮下に入って新選組と戦い、後に東征軍の先鋒隊に合流する。のちに赤報隊の二番隊長を務めたが、相楽総三らの偽官軍事件に連座した疑惑によって入牢した後、新政府の徴兵七番隊に加わる。6月には軍務局軍曹を拝命して江戸へ下向し、戊辰戦争では北越や会津における戦線を戦った。

慶応3年3月に伊東甲子太郎らが脱退して御陵衛士を結成した際には、そのまま組に残留した。同年6月、新選組の幕臣取立てに反発し、御陵衛士に合流しようとするが新選組との規定により叶わなかった。その後、京都守護職邸で近藤勇らと脱隊の話し合いをするがこれも叶わず、茨木司、佐野七五三之助、中村五郎と共に同所で自刃した。慶応元年4月の土方歳三、伊東甲子太郎、斎藤一らによる隊士募集に応じて、17歳で新選組に入隊。同年5月10日、京都へ入る。

1927年、「マキノ御室撮影所」製作の『鞍馬天狗異聞・角兵衛獅子』でデビュー。以降マキノの看板スターとして、この年、実に20本近い数の映画に出演、「鞍馬天狗シリーズ」のほか『鳴門秘帖』・『百万両秘聞』などでもヒットを飛ばす。マキノでの2年間で、アラカンは「鞍馬天狗」を3作演じている。1928年、『新版大岡政談 前編・中篇』のニ作で丹下左膳を演じたのを最後に、「マキノ御室撮影所」から独立、「嵐寛寿郎プロダクション」を設立。独立の理由には、鞍馬天狗を巡るマキノとの軋轢があった。

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