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慶応四年一月に勃発した鳥羽・伏見の戦いでは目付を務め、大阪に敗走後、江戸に帰還。その後も在隊し、甲州勝沼の戦いを通して会津にへ向かい、同年八月二十一日の母成峠の戦いで敗走。二十二日に斎藤一こと山口次郎ら38名と共に会津若松城下外堀外の斉藤屋に宿泊した記録を最後に消息を絶った。会津まで新選組に同行した副長助勤は、この尾形と斎藤のみである。尾形の消息は判然としていない。中島登は「行方不明」とし、横倉甚五郎は「会城に残る」としている。いずれにしても新選組本陣から離れており、その後は以下のような諸説があるが、どれも確証がない。尚、会津三代の正福寺に松本喜次郎の墓と共に「尾形」という姓の新選組隊士の墓があったという伝承があるが定かではない。

米国人に最も有名なのはテレビドラマ『将軍 SHOGUN』の将軍役で、ミフネ=サムライのイメージが固定した。1980年代のアメリカの人気テレビ『サタデー・ナイト・ライブ』ではジョン・ベルーシが『用心棒』の主役の物まねで人気を博した。ベルーシは『1941』で三船と共演しているが、直接の絡みは無い。米国産コンピュータRPGの『ウィザードリィ』には、敵役サムライの首領的存在として「ミフネ」が登場してくる。また『マトリックス・リローデッド』『マトリックス・レボリューションズ』には「ミフネ船長」なる人物も登場し、アジア系ではないが容姿の良く似た俳優が起用されている。海外での受賞やノミネート歴は、1955年『七人の侍』で英国アカデミー賞主演男優賞ノミネート。1961年『用心棒』でヴェネチア映画祭主演男優賞、シネマヌーヴァ金額賞。1965年『赤ひげ』でヴェネチア映画祭主演男優賞、1980年『将軍』で米国エミー賞主演男優賞ノミネート。その他、フランスの芸術文化勲章、モントリオール世界映画祭特別グランプリ、マニラ映画祭では「最もセクシーな俳優」に選ばれた事もある。

播磨高砂の人で、実家は富裕な蔵元。新選組には、大阪で商家に嫁いでいた妹が推薦。得意の算術を活かし、勘定方として、隊費の経理面で活躍。勘定方であったため槍働きの面では他の隊士に遅れをとっていたという見方もあるが、池田屋事件にも参戦し褒賞金をもらっていることから、実際には人に劣らない腕前であったという説もあり、「戦う勘定方」として活躍したとされている。慶応2年2月、切腹させられた。

中島登が描いたなかでも、伊藤は白河で戦っているところを書かれたという。元治元年10月の江戸における隊士募集に応じて入隊。同年12月の行軍録では、尾形俊太郎の五番組に所属している。翌慶応元年夏の編成で撃剣師範となっている。慶応2年9月の三条制札事件に参戦。大石鍬次郎の組に所属していたと考えられ、褒賞金として千疋を賜っている。同3年6月の幕臣取立では、見廻組御雇の格を受けた。 その後も在隊し、翌4年に勃発した戊辰戦争に身を投じ、戦死した。享年26。

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