長編作品一覧と演じた俳優

その頃、会津藩から近藤、土方、山南らに芹沢の処理の密命が下っていた。芹沢の乱暴狼藉に対し朝廷から召捕りの命令が下ったことが理由である。9月16日、島原の角屋で宴会をした芹沢、平山、平間重助は夜中に屯所の八木家に帰った。平山は玄関で倒れて起き上がれないほど泥酔していた。八木家には各々の愛人が待っており、平山は桔梗屋の芸妓吉栄とかねてから馴染で、奥の十畳間で吉栄と同衾して寝入った。同じ部屋では屏風を置いて芹沢とその愛妾のお梅が寝ていた。深夜、数人の男たちが突然部屋に押し入り、芹沢と平山に切りつけた。平山は起きる間もなく即死。芹沢は起き上がって逃れようとするが、倒れてめった斬りされて殺された。お梅も惨殺された。平山と同衾していた吉栄は難を逃れている。襲撃が行われた時にたまたま便所に行っていたという。別室にいた平間は逃亡。

元治元年6月の池田屋事件後、近藤勇が九月から十月にかけて江戸に戻り隊士募集を行った。大石はその時入隊した。慶応3年6月 新選組が幕臣に取り立てられると、大石は諸士調役兼監察に任命された。慶応3年11月の油小路事件では、大石が伊東甲子太郎を暗殺。 また12月の天満屋事件では乱闘の斬り合いの中、紀州藩士 三浦休太郎の護衛の任務を斎藤一らと共に果たしている。

1929年、「東亜京都」に移り、初演作『新説荒木又右衛門 前篇・後篇』で「荒木又右衛門」を演じる。同年、『右門一番手柄 南蛮幽霊』で「むっつり右門』役を初演。「東亜京都」での3年間で、アラカンは「鞍馬天狗」を2作、「むっつり右門」を4作演じている。1931年、「東亜京都」がジリ貧となり、『都一番風流男』から再び「寛プロ」での独立制作に戻る。

1962年に弟が居る大映に移ってからは城健三朗と改名したが、主役は回ってこず、市川雷蔵や弟の勝新太郎の脇役に甘んじていた。仕事では不遇の日々であったが、1963年に美人女優の藤原礼子と結婚。また大映が売り出していた若手の主演スター安田道代を愛人にしていた。1964年にはTV時代劇『風雲児半次郎』に主演。 しかし大映時代の最後の1年は干されてしまい役がつかなかった。1966年に東映に戻り、芸名も元の若山富三郎に戻す。東映に復帰当初は脇役でスタートしたが、鶴田浩二を助演した『博奕打ち 総長賭博』で認められ、1968年より『極道』シリーズ、『賞金稼ぎ』シリーズ、『極悪坊主』シリーズ等のB面映画の主演シリーズを持つようになり、俳優としての地位を築く。70年代に入ってからの代表作は勝プロの『子連れ狼シリーズ』。 凄まじい殺陣と寡黙な演技で拝一刀を演じ、『一刀の若山か、若山の一刀か』と評された。また個人事務所「若山企画」を立ち上げ、TV時代劇では1973年の『唖侍鬼一法眼』、1975年の『賞金稼ぎ』に主演した。

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