テレビドラマとテレビアニメ

このライセンスを生かし、遊覧飛行のアルバイトをしていたが、客から「アラカンや。ヒコーキ屋とはけしからん!」と騒がれ、「アホ!人違いや。せやけど、聞きずてならへん。アラカンやったらなんでアカンねん。金払ろてとっと去ね!」とやりかえし、後年、「役者やっとったらこうはいきまへん。稼ぎは別として、楽しい毎日やった。」と述懐していた。1938年、日活京都撮影所に所属。この4年間の日活時代が最も脂が乗っていた時期といわれ、『鞍馬天狗』『むっつり右門』の二大人気シリーズのほかに『髑髏銭』、『出世太閤記』、『海援隊』等の佳作を輩出。 『出世太閤記』では、主君・織田信長の御前で、滔々と淀みなく長ゼリフを披露する場面が圧巻であった。日活では都合「鞍馬天狗」を7作、「むっつり右門」を5作演じている。

森鴎外が書き残した書『大塩平八郎』によれば、当時与力見習であった内山は大塩に憎まれていたとされている。大塩と内山との間に実際に確執があったのかどうかは不明だが、文政13年に大塩が内山に宛てた書簡が大阪府守口市盛泉寺に残されているとのこと。元治元年5月20日、内山彦次郎は何者かによって暗殺された。場所は天満橋とも天神橋とも言われる。内山は首を落とされ、斬奸状とともに晒された。一般に犯人は新選組の沖田総司・永倉新八・原田左之助・井上源三郎の4人とも、これに近藤勇や土方歳三が加わっていたともされる。新選組が内山を暗殺した動機は、前年、新選組が大阪出張をした際に小野川部屋力士らと乱闘騒ぎを起こした「大阪角力事件」で内山が小野川部屋に協力した疑いがあったことやその吟味が高圧的で近藤との間に確執が起きたための遺恨であるとか、内山が倒幕派志士と結託して米価や油の値を吊り上げていると疑った上での天誅であると言われている。

同年9月18日に新選組隊士達が島原へ遊興しに行った際には、屯所で留守番をしていた。芹沢鴨暗殺の日だった。美男で女好きだったが気が弱く、仲間の隊士達と飲みに行くこともできず、壬生村郷士南部亀二郎の子守女と仲が良かった。女の腹がふくれはじめたため、他の隊士達が歌を作ってからかったと言う。馬詰親子はいづらくなって、ある夜新選組を脱走してしまった。

事情により生家を出奔した大石は、武州日野の大工のもとに住み込みで働いていた。この大工が、名主佐藤彦五郎に出入りしていた事で、大石は彦五郎の道場に通うようになる。剣術はここで上達したようだ。元治元年6月の池田屋事件後、近藤勇が九月から十月にかけて江戸に戻り隊士募集を行った。大石はその時入隊した。慶応3年6月 新選組が幕臣に取り立てられると、大石は諸士調役兼監察に任命された。

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