奥村兄弟と長編作品一覧

断絶後、弟万太郎と共に故郷を出奔し、大坂南堀江町にて道場を開く。新選組加盟の時期は不明だが、元治元年6月に副長助勤、同年12月に八番組長、慶応元年4月に七番組長・槍術師範を務める。池田屋事件では近藤隊に属し、事件後、褒賞金として17両を賜る。慶応元年1月、弟万太郎ら4名で大坂焼き討ち計画を未然に防ぎ、大坂の豪商・加賀屋四郎兵衛に対する献金要請の際は交渉役を務め、3万1500両もの大金を得ることに成功している。その間、弟周平は近藤勇の養子となっている。慶応2年4月1日、京都東山の祇園社石段下にて「頓死」する。享年不明。墓所は、大阪市北区の本伝寺。

慶応3年11月の油小路の変では大石鍬次郎らと共に出動。慶応4年1月に戊辰戦争が勃発すると、鳥羽伏見の戦い、甲州勝沼の戦い、会津戦争を経て仙台で榎本武揚艦隊と合流し、蝦夷地へ渡航した。明治2年5月15日に弁天台場が降伏し、横倉は同所にて謹慎を言い渡されていたが、元京都見廻組今井信郎などと共に坂本龍馬、伊東甲子太郎暗殺の嫌疑をかけられ、同年11月9日、東京の糾問所に送検されて取り調べを受けた。

しかし、在地の仲買人たちが痛めつけられた結果、大坂を含め畿内一円での米価の価格は異常なまでに跳ね上がった。一部の特権階級のため莫大な資金を投入しての市場介入に公正な取引を監視する筈の与力たちが見て見ぬふりをする。天保8年、大塩平八郎の乱は、このような役人の態度を憎んだ大塩の暴発でもあった。この際に内山は美吉屋五郎兵衛方に潜伏していた大塩平八郎父子を発見、包囲した1人であると伝えられる。互いに地付きの与力である内山は大塩と近所であり知らない仲ではなかった。森鴎外が書き残した書『大塩平八郎』によれば、当時与力見習であった内山は大塩に憎まれていたとされている。大塩と内山との間に実際に確執があったのかどうかは不明だが、文政13年に大塩が内山に宛てた書簡が大阪府守口市盛泉寺に残されているとのこと。

同作では、大蔵貢社長じきじきに「日本映画界初の天皇俳優にならんか」とこの役を持ちかけられ、寛寿郎は余りの大役に戸惑いつつも、御真影や説話のイメージ通りの威厳ある明治天皇を演じて話題となり、作品は空前の大ヒットを記録する。つづけて明治天皇役を演じたが、マンネリ化し、3作で降板。「天皇役は負担やった。」と後年述べている。『大東亜戦争と国際裁判』)では東條英機、『皇室と戦争とわが民族』)では神武天皇を演じる。新東宝では数少ないスター俳優のひとりであり、歴史上の大人物を演じることが多かった。アラカンは綜芸プロ・新東宝では「鞍馬天狗」を3作、「むっつり右門」を6作演じている。

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