テレビドラマとエピソード

1948年、大映京都で『狙われた女』に出演した後、フリーとなる。1949年、マキノ正博監督の『盤嶽江戸へ行く』が新東宝での初演作となる。同作は、マキノが設立したシネマ・アーチスト・コーポレーションの第2回作品で、主演は20年前の前作『盤嶽の一生』同様、大河内傳次郎であった。同年、『白髪鬼』、『私刑』等の現代劇に出演。

この4年間の日活時代が最も脂が乗っていた時期といわれ、『鞍馬天狗』『むっつり右門』の二大人気シリーズのほかに『髑髏銭』、『出世太閤記』、『海援隊』等の佳作を輩出。 『出世太閤記』では、主君・織田信長の御前で、滔々と淀みなく長ゼリフを披露する場面が圧巻であった。日活では都合「鞍馬天狗」を7作、「むっつり右門」を5作演じている。1942年、日活京都を退社。大映京都撮影所へ移る。同年、大映移籍第一作『鞍馬天狗』公開。

また、壬生で子供たちと遊んでいた沖田総司が通りがかりの源三郎に「また稽古ですか、熱心ですね」と声をかけると、「わかっているなら稽古をしたら良いのに」とたしなめたというエピソードが残っている。文久3年3月10日、芹沢鴨・近藤勇ら13名が新選組の前身、壬生浪士組を結成。藩主松平容保が京都守護職を務めていた会津藩の預かりとなる。同日、斎藤を含めた11人が入隊した。試衛館以来の近藤の同志で、近藤と一緒に上洛したという説もあるが、少なくとも、斎藤の上洛は近藤とは別行動だった。もっとも、近藤とともに上洛した者たちにしても、統一行動をとっていたわけではない。その後、新選組幹部の選出にあたり、斎藤は20歳にして副長助勤に抜擢された。一般的に新選組幹部で一番若いと思われているのは沖田総司であろうが、最年少は斎藤である。のち、組織再編成のさいには組長となり、さらに撃剣師範なども務めた。

浅田次郎の歴史小説『壬生義士伝』は、子母澤の創作を下敷きにして書かれたものである。2002年にテレビ東京で長時間TVドラマとして放送され、翌2003年には映画化もされた。大石は御三卿一橋家の近習番衆 大石捨次郎の長男として生まれた。はじめは金之助と称していた。新撰組入隊後、暗殺を主とした任務につくことで「人斬り鍬次郎」と恐れられた。実際に多くの任務で、その剣を振るっていたらしい。目付役の任にもついていた。事情により生家を出奔した大石は、武州日野の大工のもとに住み込みで働いていた。この大工が、名主佐藤彦五郎に出入りしていた事で、大石は彦五郎の道場に通うようになる。剣術はここで上達したようだ。

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