浪人時代と関連作品

元治元年には京都見廻組を率い、新選組と共に尊攘派志士から恐れられ、蛤御門の変にも出動。元見廻組隊士今井信郎の証言から、慶応3年の京都近江屋での土佐藩の坂本龍馬・中岡慎太郎を暗殺したとされる。戊辰戦争が勃発すると幕府軍の一員として鳥羽・伏見の戦いに参戦するが、樟葉で腰に銃弾を受けて重傷を負い、和歌山に敗走中紀三井寺で死去。享年35。墓所は和歌山県和歌山市の紀三井寺、福島県会津若松市「武家屋敷」内。

宝塚映画では「鞍馬天狗」を3作、「むっつり右門」を4作演じた。1956年、『怨霊佐倉大騒動』に出演、新東宝時代の代表作のひとつに数えられる。1957年、『明治天皇と日露大戦争』で明治天皇を演じる。

2010年1月19日の報道によると、カニの「宅配詐欺」被害に遭ったとする、事実と異なる内容のエッセイを日本航空の機内情報誌・「SKYWARD」の12月号に寄稿し、函館朝市協同組合連合会から抗議を受け謝罪していた。浅田のエッセーを知った朝市協同組合連合会は2009年12月に調査を実施し、浅田の家族が朝市の実在する店からの電話を受けカニを注文していたのを確認した。連合会が「個人情報が漏れたこともない」と連絡すると、浅田は謝罪した模様である。石川県七尾市生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。北国新聞社記者を経て、作家となる。クラブ雑誌に多岐流太郎の筆名で時代小説を書きはじめていたが、昭和四十年代に入ると長谷川伸創始の「新鷹会」の同人となり、筆名を本名の「戸部新十郎」に改めた。「戸部新十郎」名での初の作品「安見隠岐の罪状」が第70回直木賞候補となった。

会津藩は降伏後改易され、松平家は家名断絶となったが、明治2年11月3日に再興を許された。知行高は陸奥国内で3万石とされ、藩地は猪苗代か下北かを松平家側で選ぶこととされた。東京で捕虜となっていた山川浩ら旧藩幹部は、高田で謹慎していた藩士らに諮ることなく下北を選択。藩名は新たに斗南藩と命名された。斎藤も斗南藩士として下北半島へ赴く。斎藤は、斗南藩領の五戸に移住し、篠田やそと最初の結婚をした。篠田家は「諸士系譜」からも確認される名家で、会津藩士としては大身に属する。白虎隊士中二番隊に属し、飯盛山で自刃した篠田儀三郎とは遠縁にあたる。のち、容保の上仲人、佐川官兵衛と倉沢平治右衛門の下仲人で高木時尾と結婚した。時尾とのあいだには、長男・勉、次男・剛、三男・龍雄の3人の息子が生まれた。その後東京に移住。新たに募集された警視官に応募し、採用された。明治10年2月には警視局の警部補に任ぜられる。同年2月15日、西南戦争が勃発。豊後口警視徴募隊に抜刀隊として参加し、同年5月に戦闘参加。抜刀斬り込みの際、銃撃戦で負傷するがその天才的な剣技と指揮力で、薩摩兵を圧倒。大砲2門を奪取するなど、当時の新聞に報道されるほどの活躍をしている。

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