TVコマーシャルと池波正太郎を取り上げた番組

野口健司の葬儀の際に、武田観柳斎とともに頼越人を務める。子母澤寛著『新選組物語』には、男色家の武田観柳斎に惚れられて迷惑し、副長土方歳三に訴えて脱退させてもらったとの話が残るが、子母澤の創作だと言う声もある。同書によれば、隊務が無い時はおしゃれな恰好をして出かけ、笑うと両頬にえくぼができ、笑う時も怒る時もまるで若い女のようだったらしい。明治20年頃に壬生を訪れた時も若々しく、27、8歳にしか見えなかったと言う。入隊は文久3年秋以降。元治元年6月5日の池田屋事件では、土方歳三の隊に所属し、屋外の守備を担当した。後に十五両の褒賞金を得ている。

文久3年3月10日、芹沢鴨・近藤勇ら13名が新選組の前身、壬生浪士組を結成。藩主松平容保が京都守護職を務めていた会津藩の預かりとなる。同日、斎藤を含めた11人が入隊した。試衛館以来の近藤の同志で、近藤と一緒に上洛したという説もあるが、少なくとも、斎藤の上洛は近藤とは別行動だった。もっとも、近藤とともに上洛した者たちにしても、統一行動をとっていたわけではない。その後、新選組幹部の選出にあたり、斎藤は20歳にして副長助勤に抜擢された。一般的に新選組幹部で一番若いと思われているのは沖田総司であろうが、最年少は斎藤である。のち、組織再編成のさいには組長となり、さらに撃剣師範なども務めた。慶応3年3月伊東甲子太郎が御陵衛士を結成して新選組を離脱する際に行動をともにしたが、のちに新選組に復帰した。御陵衛士の活動資金を盗んだためだという説やもともと新選組の間諜として潜入していたのだという説もあり、この時期の行動についてはその事実関係や動機が明確になっていない。新選組が伊東を暗殺した油小路事件は、斎藤が復帰の際にもたらした情報に基づいて起きたという説もある。

慶応3年6月に新選組の幕臣取り立てが決定すると、尊皇攘夷思想の強かった佐野七五三之助・茨木司・富川十郎らと共に脱退を決意して、伊東らが新選組と分離して結成していた御陵衛士への入隊を希望するが拒否されてしまう。行き場を失った中村らは、会津藩京都守護職邸へ新選組脱退を嘆願するも、上手く事は運ばず、同地にて自刃。享年19。戊辰戦争時、流山で局長近藤勇が新政府軍へ出頭すると、新選組本隊とは別行動を取った副長土方歳三に従って、大鳥圭介ら旧幕府軍と合流。宇都宮、会津へと転戦して、母成峠の戦いで戦死した。享年31。母成峠の戦いでの絵図が中島登によって描かれている。

1960年、「オール讀物」6月号に発表した『錯乱』によって直木賞を受賞した。長谷川はわがことのように喜び、正太郎も年少のころからの愛読者であった大佛次郎から賞を手渡された。受賞後数年のうちに『清水一角』『加賀騒動』などの脚本を書くほか、『北海の男』、『鬼坊主の女』、『卜伝最後の旅』、『色』、『火消しの殿』、『人斬り半次郎』、『あばた又十郎』、『さむらいの巣』、『幕末新撰組』、『幕末遊撃隊』など初期の代表作となる小説を次々と発表し、このうち『色』は『維新の篝火』の題名で映画化された。一方で劇作家としては1963年に新国劇のために子母沢寛原作『おとこ鷹』の脚色を行ったのち、しばらく演劇界・新国劇との関係を断ち、小説に専念するようになった。新国劇のありかたへの疑問や正太郎の一徹さからくる周囲との齟齬が原因であった。同年6月11日、長谷川伸が没したが、同時にこれを契機として二十六日会・新鷹会などを脱会。以後はいかなる団体にも属さず執筆をつづけた。四十代に入った正太郎は、『江戸怪盗記』、『おせん』、『堀部安兵衛』、『出刃打お玉』、『同門の宴』、『あほうがらす』など従来からの歴史小説に加えて江戸の市井に題材を採った時代小説作品を多く手がけるようになったが、なかでも1967年12月の「オール讀物」に発表した『浅草御厩河岸』は読者から高い評価を受け、次号以降断続的にシリーズとして連載が開始された。のちに代表作の一つとなった『鬼平犯科帳』の第一作である。『寛政重修諸家譜』のなかで出会った長谷川平蔵という人物につよい興味を持っていたが、旧知の八代目松本幸四郎をモデルに、世の善悪に通じ、強烈なリーダーシップと情愛を兼備えた平蔵を描出するとともに、火付盗賊改方と盗賊たちの相克を通して「よいことをしながらわるいことをする」人間の矛盾を描き、悪漢小説として読者の広範な支持を受けた。同時期の歴史小説に『さむらい劇場』、『上泉伊勢守』、『蝶の戦記』、『近藤勇自書』などが挙げられている。昼に起き夜中に執筆する生活習慣は相変わらずであったが、取材旅行を含めて旺盛に旅行し、映画・観劇鑑賞も盛んに行っていた。『鬼平』連載開始の翌年1968年には担当編集者の求めによって自伝的随筆『青春忘れもの』を執筆。旧友「井上留吉」という架空の人物を登場させたが、観劇・読書・旅行・食べ歩きを楽しんだ青春時代の思い出を戦前の兜町を舞台として描いたこの作品は読者からつよい支持を受けた。翌1969年にはNETテレビで『鬼平犯科帳』が連続ドラマ化され、さらに1971年には同シリーズ中『狐火』を舞台化。いずれも主演は八代目幸四郎で、特にテレビ版は時代ものの作品として高い評価を受け、以後の評価を不動のものとした。『鬼平』の連載は「オール讀物」誌上にあって依然好調であり、1968年に単行本第一巻が刊行されて後、『兇剣』、『血闘』、『狐火』、『流星』と年一冊のペースで新作が世に送り出された。江戸の市井を舞台とした作品でも、幡随院長兵衛を描いた『侠客』、忠臣蔵に取材した『編笠十兵衛』、大石内蔵助を主人公とした『おれの足音』などの作品が発表された。

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