演じた俳優・声優とエッセイ・対談

新撰組には初期の加入。八月十八日の政変、池田屋事件にも参戦した。しかし、元々病弱だったらしく、慶応元年4月には、京坂における隊士募集に回っている。その後、除隊され、同年11月17日に死去した。新選組行軍録には名を連ねるも、板橋の墓碑に名は見当たらない。池田屋事件の際に果敢に働き、不逞浪士取締り活動の報奨金17両を江戸幕府より拝領した。また、局長近藤勇の家臣ではないとして、近藤の非行・増長を5箇条に纏めた建白書を隊長の永倉新八、原田左之助、斉藤一、伍長の島田魁、葛山、諸士調役の尾関雅次郎らが綴り会津藩に提出。その後、容保の取り計らいにより近藤との和解となったが、葛山は切腹をした。葛山が、最後まで頑強に抗議したための憤死とも、反発への見せしめのために3人の軽輩者の内、年長者で従順な島田や、尾関ではなく、血の気の多く首脳陣に怖じない葛山に責任を負わせて手打ちにしたともいわれている。

慶応2年4月1日、京都東山の祇園社石段下にて「頓死」する。享年不明。墓所は、大阪市北区の本伝寺。武蔵国日野宿北原にて、八王子千人同心世話役の井上藤左衛門の三男として生まれる。兄・松五郎は千人同心。弘化4年頃、天然理心流の三代目宗家・近藤周助に入門。佐藤彦五郎が天然理心流の出稽古用に設けた道場で土方歳三らと共に稽古に励んだ。また源三郎は近藤勇の兄弟子でもあり、彼らとはこの頃親交を深めたとされる。万延元年、免許皆伝。

1919年、片岡松之助の一座に加入するが巡業先で賭博により追われ、初代中村扇雀一座の「関西青年歌舞伎」に加わる。ちなみに、のちの『続 網走番外地』での「鬼寅親分」のセリフには、「十五の年からいたずらをしてきた」というものがある。ここには、市川右一、片岡千恵蔵、林長丸など将来のライバルたちが所属していた。1921年、叔父・六代目嵐徳三郎の縁を頼って歌舞伎界に入る。初名嵐徳太郎。屋号は葉村屋。後に嵐和歌太夫を名乗る。

松竹京都では、「鞍馬天狗」を3作演じた。以後、年に8本前後のペースで数多くの時代劇映画に主演、衰えぬ華麗な剣戟をみせる。1952年、『鞍馬天狗 一騎討ち』に主演。

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